2015年5月6日水曜日

行き先さがし

バルセロナの日々(4)

 行けるかどうかを調べると言っても、いったい何から手をつけたらよいのだろう。
 決めたいことはふたつあった。ひとつは行き先。もうひとつは奨学金。
 子どもを連れていくのだから、住む場所や子どもの学校など手配が必要だ。あらかじめ行き先が決まっていなければ始まらない。単身の留学ならいざ知らず、行きあたりばったり、ともかく行ってから考えるというわけにはいかない。
 それに、児童文学はどこででも勉強できるものではない。勉強できるかわかりもしないで、行くのは暴挙だろう。
 一方、奨学金は、資金面のほかに、説得材料としてどうしてもほしかった。
 いきなり留学と言っても、だれが賛成してくれるだろう。奨学金をとれたなら、少しは留学を正当化できるし、ちゃらんぽらんな気持ちでないことが示せる。

 スペイン留学のガイドブックを読むと、スペイン語学留学という場合、行き先はたいてい、大学の1年履修の外国人コースか、公立や私立の語学学校のようだった。それ以外の情報はほとんどのっていない。だが、どちらも私が求めているものではなかった。子どもを連れていくのに、それだけでは足りない気がした。
 そこではじめに思いついたのは、その前年旅行で訪れた、サラマンカのヘルマン・サンチェス・ルイペレス財団、国際児童図書センターだった。アナヤという大手出版社の創業者ヘルマン・サンチェス・ルイペレスが、青少年の読書推進を目的として、ミュンヘンの国際青少年図書館をモデルに1985年に設立した、スペインの児童文学研究の要とも言うべき機関だ。
 ミュンヘンの国際青少年図書館では日本の研修生を受け入れているという話だから、ひょっとしてサラマンカの国際児童図書センターも同様の制度があるかもしれない。1年なりあそこに身をおいて勉強できたらどんなにいいだろう。
 けれども、問い合わせへの答えはノー。数週間なら可能かもしれないが、何か月という単位での受け入れは前例がないし、日本やアジアがらみの仕事はないとのことだった。
 次にあたったのが、「読書へのアニマシオン」の著者サルト氏の率いるエステル協会だった。エステル協会は、スペイン文部科学省の要請で、「読書へのアニマシオン」の指導者講習のほかに、児童文学の専門家養成講座を開いていると聞いている。全部で200時間の大学院レベルの講座だそうだ。
 けれども、いくら催促しても返事は来ず、ノーと判断された。あとでわかったのだが、その養成講座は短期のプログラムで、継続的なものではないようだった。

 どうしよう……。
 ここにきてやっと私は、一か八か、大学で児童文学関係の研究をしている先生にあたってみようと決心した。
 目的からすれば、真っ先にここにアプローチしてもよさそうなものだ。なのに、なぜ二の足を踏んでいたのかと言えば、ひとつには、大学への正規留学はむずかしいと留学ガイドブックにあったからだ。それに、何の面識もない名の通った先生に、いきなり連絡することへの気後れもあった。
 でもほかにあてはないのだから、あたって砕けろだ。
 以前から目をとめていた3人の児童文学研究者の連絡先は、調べるとあっけなくわかった。ヘルマン・サンチェス・ルイペレス財団のレファレンスサービスで教えてくれた。
 どの先生からあたろうか。
 一番ひかれていたのは、バルセロナ自治大学のテレサ・コロメール教授だった。3人のうちの唯一の女性で、発表された文章を読む限り、私が関心のある児童読み物についていちばん詳しかった。
 それに、バルセロナだ!
 「スペイン」に住めればいいと言いながらも、心の底の底には、せっかくなら「バルセロナ」がいいという思いがあった。バルセロナは、1983年に卒業旅行の一人旅ではじめて訪れて以来、いつかは住んでみたいとあこがれ続けてきた町だった。
 でも……。バルセロナで本当に大丈夫かなあ。
 バルセロナは、スペイン語とカタルーニャ語のバイリンガル地域だ。子どもたちの学校の授業もカタルーニャ語。自分だって話せないカタルーニャ語の言語圏に子どもを連れていくなんて、無謀すぎやしないか。ちんぷんかんぷんの言葉がいっぺんにふたつも飛び込んできたら、子どもたちはどうなってしまうだろう。
 でも、実を言うと、カタルーニャ語は前々から学びたかった言語だった。カタルーニャ語の児童文学にも興味があった。
 ここでコロメール教授にあたってみなければ、一生後悔する。返事がくるかどうかわからないんだもの。ともかく問い合わせてしまおう。 
 今ほどメールが普及していない時代だった。いきなりメールは失礼な気がして、ファックスで手紙を送信した翌日、コロメール教授からメールで返事が届いた。
「手紙を読みました。それならうちの大学院で2年間勉強してはどうですか。中南米からの留学生はじきにカタルーニャ語をマスターしています。スペイン語が身についているなら大丈夫でしょう」
 やったー! 信じられない気持ちで、ノートパソコンに届いたメッセージを何度も何度も読み返した。
 大学院で2年? 大丈夫かな。2年なら長男が中学にあがらないうちに帰ってこられる。うん、大丈夫だよ。よーし、行ってしまえ。
 奨学金がとれようがとれまいが、9月には絶対バルセロナだ、と私の心は決まった。年が明けた1999年1月末のことだった。


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