2016年1月3日日曜日

小学校さがし

バルセロナの日々(13)


 7月に下見に行ったとき、小学校について書かなかったのは、事情はわかったものの、決めるに到らなかったからだった。
 留学生課の人がいうには、小学校にはそれぞれ定員があり、公立の小・中学校は3月末に一斉に9月からの転入希望をとるらしい。その後、定員にあきがあるかどうかは、各学校にきいてみないとわからない。だが、7月には学校にだれもいなくなるので、9月にならないと問い合わせようがないとのこと。ともかく、どんな学校があるのか、サルダニョーラの小学校のリストを、役場からとりよせてくれた。
 リストを見ると、サルダニョーラの公立校は、小学校と幼稚園が、ほとんどの場合併設されていることがわかった。とすると、うちの子たちは三人とも同じ学校に通えばいいということになる。これは好都合だ。

 9月。在留届の手続きが終わると、真っ先に小学校さがしにとりかかった。お金をかけられないので、公立校と決めていた。
 サルダニョーラの地図と学校リストを照らし合わせて見ると、家から一番近そうな公立校はセラパレーラ小学校だった。歩いて2、3分というところか。
「スペイン語もカタルーニャ語もまったく話せない日本人の5歳と7歳と9歳の子どもなんですけれど、そちらの学校に9月から入れませんか」としどろもどろに電話でたずねる。電話口に出た人は、まず子どもたちの生まれた年を確認した。生まれた年で、学年が決まるので、ケンシは4年、アキコは2年、タイシは幼稚園の年長になるらしい。そして、うれしいことに、「あきはありますよ。明日にでも来てみてください」と言ってくれたのだ。よかった!
 ところが、これで終わらないのがスペインだ。
 翌日、すっかり気をよくして3人を引き連れて行ってみると、校長先生から、「よく調べたら、2年生のあきがなかったんです」と言われてしまったのだ。
「電話であるって言ったじゃない」と言ってみても始まらない。ないものはないのだ。ぼう然としていると、「近所の別の公立校にあきがあるか調べてみるから、ちょっと待っていてください」と言われた。
 待っているあいだ、事務所の横の廊下に掲示してある行事の写真や、子どもたちの図工の作品をながめる。日本の保育園の発表会や小学校の学芸会を思いだし、親近感がわいてきた。よさそうな学校なのにな、とますます残念な気持ちになる。
 15分くらい待ったろうか。ようやく校長先生が出てきて「歩いて10分くらいのところにある小学校に連絡をしてあるから、今から行ってみなさい」とおっしゃった。
 街路樹のプラタナスがくっきりと歩道に影を落としている暑い日だった。少し歩くと、喉が渇いてくる。通うことになる学校に行ってみるだけのつもりだった子どもたちは、
「ねえ、もう帰るんじゃないの?」「今度はどこ行くの?」とたずねてくる。途中、お店も見つからず、水も買えないし、説明する気力もない。土地勘がないからか20分近くかかって次の学校にたどりついたときには、子どもたちはくたくたになっていた。
 校長先生は、いかにも教育者という感じのあたたかい目をした年配の女性で、子どもたちが疲れているのを一目で見てとり、「あなたが話しているあいだ遊びたかったら、好きなところで遊ばせてやっていいわよ」と言ってくれた。この炎天下、外の遊具で遊ぶっていうのもなあ、と思ったが、ケンシとタイシはさっそく校庭の遊具で遊びはじめた。校長室についてきたアキコには、紙と鉛筆と消しゴムをもらって、お絵描きを始めた。
「大丈夫。あきはあるし、面倒をみますよ。子どもたちも疲れているようだから、とりあえず書類のことだけ説明しますね。あさって持ってきてくれたら、そのときにまた詳しく話をしましょう」と校長先生はおっしゃって、公立の小学校に入るために必要な書類を教えてくださった。市役所で住民登録をして、その証明書をもらってくること、証明写真、戸籍謄本、パスポートのコピーなど。
 そのあとで、校舎を案内してもらった。1クラス25人で、各学年2クラスずつ。教室は、日本の普通の教室よりややこぶりだった。黒板の上に張ってあるアルファベットの文字、壁に並んだフックにつけてある子どもの名前、小さな机や椅子が、日本の保育園や学校と似通った空気をかもしだしている。一つびっくりしたのは、チェスの部屋があったこと。この学校では、高学年で選択でチェスの授業があるらしかった。
 感じのいい学校だと思った。だけど、一つ気がかりが残った。アパートまで帰るのに15分以上かかったのだ。1キロはありそうだ。途中、けっこうきつい坂もある。ケンシはいいけれど、タイシははたして歩けるだろうか。3人そろって保育園に通っていたときのことが思いだされた。3人がその気になるタイミングがなかなかそろわず、家から連れ出すのだけでも一苦労だったのに、この距離だ。本当に通えるのだろうか。
 どうしよう。校長先生はよさそうな方だけれど、この学校で本当にいいだろうか。
 納得のいかない気持ちをかかえ、私は翌日、もう少し動いてみる決心をした。ほかに学校がないか、もう少し調べてみよう。なければ、その学校に通えばいい。私立に範囲を広げれば、もしかしたらもっといいところがあるかもしれない。
 そして、そこで出会ったのが、3人が1年間通うことになったクレンフォル校だった。