2016年6月24日金曜日

『ちっちゃいさん』紹介情報1



 イソール『ちっちゃいさん』、刊行から2ヶ月たちました。
 ゆかいな絵本『ちっちゃいさん』、読売新聞のあともあちこちでとりあげられています。

 1つめは、5月27日(金)「毎日新聞」千葉版の「阿部裕子の絵本だいすき」。リンクはこちら。いいなあと思った箇所を少し引用します。
つまり、この絵本はあかちゃんのことが良くわかるというだけでなく、おとなにもみんなあかちゃんだったことを思い出させてくれるのです。これはとっても大切なこと、このことは他の人に寛容な気持ちになれるからです。そして、幸せだった子ども時代を持ったおとなはやさしさをあかちゃんに伝えようとします。 
ともかく忙しい世の中は手のかからない子ども、育児を望む人がみられる傾向です。安心育児の本は多い、けれどそれはおとなからの安心であかちゃんからの安心ではありません。
千葉市中央区にある児童書専門店「こどもの本の広場 会留府(えるふ)」を運営する阿部さんは、お店のブログでもいち早くとりあげてくださいました(リンクはこちら)。ありがとうございます。

 2つめは、6月10日(金)の「東京新聞」朝刊。クレヨンハウスの岩間建亜さんが「子どもの新刊」のコーナーで紹介してくださいました。
 出産のお祝いや、「ちっちゃいさん」と読み合うのに、いま、これ以上の絵本を思いつかない
という文を見て、プレゼントに購入してくれた友人もいます。

 3つめは、6月19日(日)の「ラジオ深夜便」。月に1回登場される書評家の松田哲夫さんが「私のおすすめブックス」のコーナーでご紹介くださいました。松田さんがスペックを読み上げてくださるだけでドキドキでした。ひまごさん(とおっしゃいましたよね? 孫ではなく???)が生まれたばかりだそうで、夜泣きの場面のことなど、実感のこもったお話でした。
「赤ちゃんという存在とそれとつきあっていくまわりの人たちの反応は世界共通なんだなということを、改めて感じさせてくれる絵本でした」 
「赤ん坊のときのことは、自分も赤ん坊だったから、思い出すわけにいかない。それを振り返ってみるという意味でもいい本だと思いましたね」
「なかなかユーモアもあって、絵がとってもいいですね」
ちなみに、この日一緒に紹介されたのは、桂望実『総選挙ホテル』(KADOKAWA)と瀬戸内寂聴『求愛』(集英社)です。
 自分が訳した本に限らず、だれかが本のことを語るのを聞くのは楽しいことだと改めて思いました。

 4つめは、大田区の絵本の店、ティール・グリーンin シード・ヴィレッジ刊行の『コガモ倶楽部』第182号(2016.5.20刊行)。
「アルゼンチンの作家イソールが「あかちゃん」のことをユーモアたっぷりに教えてくれる絵本」と紹介してくださっています。
 お店では、お話の会や読書会、ワークショップなど、いつもさまざまなイベントが開催されています。「いつか」と思いながらなかなか行けずにいますが、いちどたずねたいと思っています。お店のHPはこちら

 ありがとうございます!
 ただ、こうして引用を読むと、「じゃあ、大人の絵本なの?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも私は、やっぱり子どもたちに読んでほしいと思っています。
 そのあたりのことは、また改めて。

2016年6月18日土曜日

スペイン語は耳じこみ!?

バルセロナの日々(17)

カルナバルでネコになった、クレンフォル校のP5「階段の下のネズミ組」

 学校に通いはじめて1ヶ月くらいたったある日、夕方お迎えに行くと、タイシの担任のフアニが、待ってましたとばかりに勢いこんで話しかけてきた。

「今日ね、タイシがはじめて私に話しかけてくれたの。『テンゴ ピピ フアニ』って。ちゃんと『フアニ』もつけてよ」
 すごーい! やったじゃない、タイシ!
 照れくさそうなタイシを、ぎゅうっとひきよせながら、うれしいやらおかしいやらで笑ってしまった。
 最初のまともな文章が「フアニ先生、おしっこ」だったとは、なんともタイシらしい。おしっこは、要領のいい末っ子タイシの唯一の泣き所だった。
 その何日か前、タイシは学校ではじめておもらしをした。家でもしょっちゅうちびり、盛大な失敗もときどきやらかしていたから、とうとうやっちゃったかというところだった。だが、フアニに、
「『ピピ』って言うとか、前を押さえてこう体をゆすってみせるとか、とにかく伝えてくれればよかったのに。こういうことがありそうならありそうだと、おかあさんも言っといてくれないと」
と、けわしい顔をされると、母子ともどもショボンとなった。着替えがないので、パンツを脱いだまま、しめったズボンをじかにはかされているタイシが不憫だった。
「おしっこがしたくなったら、『ピピ』って言うんだよ」私はタイシに言いきかせた。
 きっとフアニも、身ぶり手ぶりで、何度も言いふくめたに違いない。
 そして、晴れて「テンゴ ピピ フアニ」と、なったわけだった。

 ところが、その大喜びの日、家に帰ってから、
「ねえ、フアニにどんなふうに言ったの?」
とたずねた私は、タイシのこたえを聞いて愕然とした。
「『センゴ ピピ フアニ』だよ」
「えっ、テンゴじゃないの? セじゃなくてテでしょ」
「ううん。『センゴ ピピ』。サムエルもそう言ってるもん」
 耳じこみの外国語、おそるべし。
 子どもたちは、文字を介さず、状況から、耳で聞いた音の意味を類推しながら、スペイン語を習得していっていた。耳に聞こえたままを、彼らは口に出す。この場合、テンゴ ピピ(Tengo pipi=私はおしっこがしたい)が正しく、センゴという言葉はない。ところが、イントネーションがばっちりだから、状況からフアニ先生はテンゴと理解し、あんなに感激したのだった。

 それからというもの、子どもたちのオウム返しのスペイン語は、私の日本語なまりのスペイン語より、くやしいほど威力を発揮しはじめた。
 アキコは登校何日目かで、クラスメイトに「ホセマノエって子がいる」と言った。文字で書けばJosé Manuel。この名前、普通にカタカナ書きすればホセ・マヌエルとなる。ところが、スペイン語の「ウ」は、日本語の「オ」に近い。耳を柔らかくすれば、確かにホセマノエだった。
 また、ある日、家に帰ってきたタイシが、わけのわからない歌を歌いだした。
「ミルノウセン ヌランターノウ」
 なんじゃこりゃ。呪文のように、繰り返し繰り返し口ずさみながら遊んでいる。カタルーニャ語だ。意味をたずねても、「わかんなーい」。習いたてのカタルーニャ語にアップアップしていた私は、しばらく考えこんでから、はっとわかって笑ってしまった。
 なんてことはない。タイシは「1999(年)」と歌っていたのだ。きっと先生が毎日、黒板に日付を書きながら唱えていたのだろう。その頃の学校のノートを見ると、どのページも一番上によれよれの字で、「Taishi, el dilluns 15 de novembre de 1999(タイシ、1999年11月15日)」のように日付が書いてある。クレンフォル校は、家庭でスペイン語を話す子が多かったので、年の読みを、先生が節をつけて繰り返し唱和させていたのかもしれない。

 こんなふうに、子どもたちの頭の中に、新しい言葉がだんだんと植えつけられていった。
 どんなときに、どんなふうに言うのか。耳で聞き、まわりの態度を見ながら、意味を類推して使ってみる。うまく言えると、スペイン人はたいがい力いっぱいほめてくれる。間違っても、口に出してみた勇気をたたえ、決して落ち込ませない。こういうところ、スペイン人のいいところだなあと思う。
 自分がほとんど大人になってから文字と頭でおぼえた言葉を、子どもたちが耳からとりこんでいくのは、ふしぎな感覚だった。文法上の数の観念も、性の観念も、時制の観念もないのに大丈夫なのだろうかと、ハラハラする一方で、いや、そんなのなくたって、このままどんどんおぼえて、話せるようになるのかもしれない、と期待したい気持ちがあった。
 ともかく早く友だちと通じ合えるようになるといいね、と祈るように私は見守った。

2016年6月8日水曜日

夏がくると…『ピトゥスの動物園』


サバスティア・スリバス著/スギヤマカナヨ絵『ピトゥスの動物園』(あすなろ書房)が、なんと12刷になりました!

2006年に刊行されたこの本は、2007年に青少年読書感想文全国コンクールの小学校中学年の課題図書になり、その後も、教科書や読書感想文の書き方の本で紹介されました。私の訳書のなかで最も多くの読者に手渡されている本です。

けれども、この本も長いことかかって刊行に至りました。
そのあたりのいきさつを、2007年に、母校のスペイン語学科の同窓会「イスパニア会」の会報にまとめましたので、ここで再録してご紹介します。字数が限られていたので、ちょっと書きたりないところもありますが。


『ピトゥスの動物園』翻訳出版の舞台裏

 翻訳者と言うと、辞書を片手にひたすら翻訳している姿を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、私の場合、そうでない時間がかなりあります。では何をしているのかというと、本探しや情報収集、売り込みといった営業活動です。これはと思う原書を出版社に持ち込み、検討してもらい、翻訳出版につなげていくわけです。これまでに出版された11冊の訳書のうち8冊が売り込みの所産といえば、その比重の高さがわかるでしょう。
 2006年暮れに刊行されたサバスティア・スリバス作『ピトゥスの動物園』も、このような売り込みから出発した作品の一つです。

出会いは15年前
 初めて原書を手にとったのは、もう15年も前のこと。別の本の巻末にあった刊行案内リストの中で、増刷の数が際立って多い作品を見つけ、とりよせたのが始まりでした。
 病気の仲間が外国の医者に行くお金を作るため、バルセロナの下町の子どもたちが一日動物園を開くという物語です。こんなことありえないという部分もありますが、ここに描かれた子どもたちのエネルギーや底力は、息苦しい状況を生きる今の日本の子どもたちを元気づけてくれるように思われました。
 そこで、何社にも売り込んだのですが、結果はすべてボツ。「古くさい」「友情だの助け合いだの教訓的」など、ネガティブな反応しか得られませんでした。

カタルーニャで最も愛されている作品
 売り込みでは、作品のよさや、その作品を今の日本で出版する意義を自分なりに説明するのですが、何度か却下されると、見切りをつけざるをえなくなります。
 でも、この作品の場合、そこであきらめなかったのは、1999年から2年半のバルセロナ留学中、小さい頃この本が大好きだったと、目を輝かせて語る大勢の人々と出会い、この作品がいかにカタルーニャ地方で愛されてきたかということを痛感したからです。
 実はこの作品、私が最初に読んだのはスペイン語版でしたが、原書はカタルーニャ語。その成立事情は、本書の後書きに書いたのでここでは述べませんが、カタルーニャの人々に長く愛されてきた作品だったのです。
 これほど大勢の人々の心に残る作品というのは、そうめったにありません。やはり力を持った作品なのだ、機会を見てもう一度売り込んでみよう、と思うに至ったのでした。
 
二度目の挑戦
 翻訳出版の提案をするとき、私たちは普通、その本の概要やあらすじをまとめたシノプシスや部分訳を用意します。前に売り込んだとき使ったのも、この2点でした。
 けれども、再度売り込むにあたって、私は一大決心をし、作品の全訳を用意しました。というのも、スペイン語の場合、原文をまったく読めない編集者が、シノプシス等で採否の判断を躊躇するのは、当然と言えば当然だからです。でも、仕事になるかどうかわからない作品を、何ヶ月もかけて訳すのは、こちらにしてみれば冒険です。
 きちんと評価してもらいたい、だが、そこまでする価値があるのか――葛藤の末、カタルーニャ語版からの全訳を用意したのは3年前でした。
 そして、これを持ち込んだ2つ目の出版社で、とうとう「いい作品ですね。やりましょう」という返事をもらったのです。

すばらしい日本語版
 持ち込み企画でありがたいのは、採用してくれた編集者が、作品にほれこんで、本当に真摯に本作りに取り組んでくれることです。
 本書の場合も、編集者はすばらしいエディターシップを発揮してくれました。特に、日本語版で新たに起こした挿画は見事でした。絵がストーリーを補い、日本の読者がより楽しめるようになりました。装丁も文字組みも、届けたい読者層にぴったりの、子どもの本ならではの配慮の行き届いた本を手にしたときは感無量でした。
 さらにうれしいことに、本書は今年の第53回青少年読書感想文全国コンクール小学校中学年の部の課題図書に選ばれました。
 あれほど何度も拒否された作品のため、どう受け入れられるか、私自身最後まで不安があったのですが、この選定は大きな励みとなりました。課題図書にスペインの作品が入るのは、記録がある第8回以降で初めてのこと。全国津々浦々の子どもたちが手にとってくれると思うと、うれしくてなりません。
 スペイン語からならではの物語や新しい視点、知識や生きる喜びを提供してくれるような作品を、これからも探し、紹介していければと思っています。


2016年6月4日土曜日

『ポーランドのボクサー』がおもしろい!




『ポーランドのボクサー』
(書名は出版社HPにリンクしています)
エドゥアルド・ハルフォン著
松本健二訳
白水社刊
2016.5










 グアテマラの新鋭エドゥアルド・ハルフォンの翻訳が出ました!
 昨年、書評で見かけて読んだMonasterio(修道院)が鳥肌ものだったので、普段、話題の本にものりおくれがちな私としてはめずらしく、ぱっと手に入れ、昨日一気に読みました。期待を上回る濃密な読書体験でした。

 ハルフォンがどのような作家かは、その出自と深くかかわっています。その説明部分を、まず後書きから引用します。
 著者エドゥアルド・ハルフォンは、一九七一年にグアテマラのユダヤ系一家に生まれた。本書の表題作でも描かれている母方の祖父はポーランド生まれ、アウシュヴィッツなど強制収容所を生き延び、第二次世界大戦後にグアテマラに移住したアシュケナージ系ユダヤ人だった。それ以外の三人の祖父母はレバノン、シリア、エジプトといった地中海周辺のアラブ世界にルーツをもつセファルディ系ユダヤ人である。ちなみにハルフォンとはレバノンから移住してきた父方の祖父の姓だ。両親はグアテマラ生まれのため、エドゥアルドと本書にも登場する弟と妹はそれぞれスペイン語の名を授かり、家庭でも学校でもスペイン語で育てられたが、幼いころからユダヤ教の習慣はもちろんのこと、祖父母が話していたイディッシュ語やアラビア語、また彼らが持ち込んだ料理をはじめとする東欧やアラブの諸文化にも少なからず触れていたようだ。
 一九八一年、一家は内戦の続く首都グアテマラシティから米国に移住する。当時十歳だったハルフォンはそれ以降英語で教育を受けるようになり、やがてノースカロライナ州立大学工学部に進学、二十二歳になって戦火の落ち着いたグアテマラに帰国したときはすでに母語のスペイン語を忘れかけていたという。(283ページ)

 けれども、ハルフォンは今、スペイン語で書いているわけです。このことについて詳しくは、月刊世界2014年8月号の飯島みどりさんによるハルフォンのインタビュー「人間の真髄を嵌め込むモザイク」を参考にしてください。

 オリジナルの『修道院』は、妹の結婚式のためにエルサレムを訪れた私が、ポーランドのボクサーのおかげでアウシュヴィッツで命拾いした祖父のことを下敷きにしながら、旅のあいだ自分のなかのユダヤ性を問い続けるという物語をオートフィクションの形で描いたものでしたが、この日本版『ポーランドのボクサー』は、オリジナルの『ポーランドのボクサー』と『ピルエット』と『修道院』の3冊を、日本用にリミックスしたとのこと。

 3冊を合わせて1冊にしたものだと知ったとき、オリジナル『修道院』だけでもおもしろいのに、なんかもったいないなあという気がしたのですが、それは杞憂でした。冒頭の、世界文学の短編を読み詩を書くグアテマラの青年の物語(オリジナル『ポーランドのボクサー』所収)や、絵葉書を送り物語を語るジプシーのピアニスト、ミランの物語(オリジナル『ピルエット』所収)と響きあって、編み直されることで、かえって作品世界が濃厚になり、印象が強烈になっていると感じました。
 全体としては、後書きから引用させてもらうと、
 三冊を合わせた本書を読めば、全体に共通する語り手であるハルフォン自身が、一族が背負ってきたユダヤ的なものとどう距離を置くかという問題を中心軸としつつ、いくつかの特定のテーマや鮮烈なイメージを、その都度その都度の即興で変奏し続けているということに気づく。(286ページ)
という物語になっています。

 思いがけないけれど、そう言われるとイメージが鮮やかに喚起される比喩も、ハルフォンの魅力の一つです。出自に見るハルフォンの文化背景がすべてからみあってか、実に豊かな言葉が繰り出されます。そのおもしろさを十二分に引き出した訳文に、感嘆と羨望のため息が出ました。
 後半になって目についた表現をメモしはじめたのですが、きりがありません。たとえばこういうもの。
  老人が何かジプシーの言葉で尋ね、そのあと同じくジプシーの言葉で何かを語り始め(セルビア語を話せなかったか、あるいは話したくなかったのかもしれない)、それをペータルがセルビア語に訳し、それをスロボダンが英語に訳し、最後に私がそれを、マトリョーシカ人形のいちばん内側の形が崩れた小さな人形のように、スペイン語に直した。(206ページ)

 昨年夏にスペインに行ったとき、文学カフェのような書店で、ハルフォンやサマンサ・シュウェンプリンなど、ラテンアメリカの若手作家の作品が平台に並べられていました。スペインで注目されるのも、さもありなんです。
 そのハルフォン作品を、これほど刺激的な独自版で手にとれる日本の読者は幸せです。

2016年6月3日金曜日

『ちっちゃいさん』2刷できました




昨日、『ちっちゃいさん』の2刷見本が届きました。
版元さんが、A3のポスターもつくってくださったので、合わせてご覧ください。

ところでイソールさんの本名は、マリソル・ミセンタ。イソールはその名前の一部から来ています。

アルゼンチンの長いコミックの歴史のある国ですが、コミックの作家さんの中には、1語のペンネームの人がほかにもいます。
スペイン語圏で絶大な人気を誇るコミック『マファルダ』の作者はキノQuino。
「ラ・ナシオン紙」で10年連載が続いている人気コマまんが『マカヌドMacanudo』の作者はリニエルスLiniers。
スペインで活躍する絵本作家のグスティGusti も、アルゼンチンの出身です。
日本でも、名前だけの芸名の芸能人やモデルさんがいるので、同じようなものでしょうか。

イソルとしてもよかったのですが、イソルと表記したら、スペイン語を知らない日本人のほとんどが「イ」を強く読むのです。
ソを強く読んでもらうにはオンビキを入れたほうがいいかと、『かぞくのヒミツ』を訳したとき、イソールという表記を使うことにしました。
もしもこれが、イソル・ミセンタだったら、オンビキは不要だったでしょうね。
本当は音が長いわけじゃないので苦渋の決断(オーバー!)。
名前ひとつとっても悩ましいのでした。

2016年6月1日水曜日

頭部への打撃?

大学のスペイン語読解の授業でのこと。

4月から専攻でスペイン語を習い始めた1年生は、直説法現在の動詞の不規則変化をひととおり学んで、少しずつ文章を読めるようになってきています。
彼らと今、ある幼年童話を読み進めているのですが、その中にこんな文章が出てきました。

Reconozco que ha sido un coscorrón muy gracioso.

辞書をひくと、次のような意味が出ています。
reconozco はreconocer で「認める」
coscorrón は「頭部への打撃」
gracioso は「おかしい」「面白い」

これをつなげると、「とてもおかしい頭部への打撃だったと私は認める」となります。

でも、こうすると、学生たちも「くすっ」と笑います。そりゃそうですよね。日本語で発話するとき、こんなふうに誰も言わないから。

そこで、つまり、「さっき僕が頭をぶつけたのは、確かにおかしかったよな」ということだよね、というと、学生たちはまた笑って納得します。

ささいな例ですが、翻訳って、こういうことですよね。
辞書は1語1語の意味は書いてあるけれど、たいがいの文はそのままつなげても内容は伝わりにくいものです。

また、その文全体が持つスタイル(上から目線だとか、くだけた言い方だとか…)も、経験がないと読みとれません。もちろん1年生でそこまでは求めませんが。

とはいえ、その1語1語の意味の核をおろそかにして、あいまいなまま勝手に訳してもうまくいきません。

翻訳の本質が見え隠れして、楽しい気分になるひと時でした。