2017年2月17日金曜日

ときには生徒に


「荻内勝之先生と読む『ドン・キホーテ』」の授業を、先週からとりはじめました。
 
 おとといの授業で「へえ~」と思ったのはsuerteという語。登場するbachiller がYa que así lo ha querido mi suerte. 「私の運がそう望んだから」と言う場面です。
「カトリックの信者がsuerteという言葉を言い放つところにおかしさがあるんです。信者は、何事も神の思し召しと考えるでしょう。教皇は、決してsuerte という語は口にしないはずですよ」と指南されました。
 こうやって接続法過去完了で言うのはおごそかな感じですねとか、この語は「おとなしい」というだけでなく、いざとなったら何をするかわからない感じがありますねとか、奥行きのある解説です。

『ドン・キホーテ』の原文に触れるのは大学の授業以来ですが、気楽でのびのび、楽しくてしかたありません。予習ができていなくても、わからない箇所が残っていても、教えてもらう側だからニコニコ。生徒になるのも時にはいいな。
 
 セルバンテスの時代、マドリードのこのへんは肉屋やパン屋があったなど、さまざまな雑学もとびだして、とても豊かな時間です。

 ただいまクラスメイト募集中です。大学の外でこういう授業はなかなかないですよ。初級レベルの方でも、読んでみたいという気持ちがあればOK。

 詳細はこちら
 荻内先生がマドリードにお出かけになっていない期間に限ってなので、開講日は問い合わせてください。読み終わるまで続くはず(!)です。


 

2017年2月11日土曜日

ポール・ジンデル『高校二年の四月に』(講談社) ヤングアダルト文学との出会い

 

 ヤングアダルトという言葉も知らなかった高校1年のとき、高校の図書館にあったこの本を偶然手にとりました。「ああ、もっとこんな本が読みたい!」と思ったのを鮮明に覚えています。
 子どもでもなければ大人でもない、自分と同じくらいの年齢の等身大の主人公たちの心理がこまやかに描かれている本に触れたのは初めてでとても新鮮だったのです。ヤングアダルトとの出会いでした。
 世界文学や日本文学も読んでいましたが、子どもではないけれどまだ大人にはなっていない当時のモヤモヤした自分の胸にピッと突き刺さりました。

 タイトルも読んだこともすっかり忘れていたのですが、何年か前に、あれは何という本だっただろうと思い出しました。「高校2年」「4月」というキーワードのほかに、なぜか「平井イサク」という訳者名を覚えていたのは、当時から翻訳者を意識していたからか。
 ところが再読しようにも地域の図書館にはどこにもなく、あるのは国会図書館だけ。いつか行こうと思いながら数年が過ぎ、一昨日、ようやく読めました。
 ああ、こういう本だったんだと、改めて楽しみました。二人の高校生が、あてずっぽうに電話をかけてなるべく長く会話を続けるという退屈しのぎの遊びでおじいさんと出会い、交流するようになる話です。あたりまえに両親がいるのではない家庭環境や一人住まいの老人が描かれていて、古い部分もありますが1968年に書かれた本とは思えない新しさもあり、米国のヤングアダルトの歴史を感じました。

 10代の読者に、「中高校生ならこれも楽しめるよ」と一般読者対象の文学を勧めることもできますが、背伸びは必要だけど、そんなに急がなくてもいいのになとも思います。
 いいヤングアダルト文学は、いつまでも子どもがいいよねということだけではなくて、大人もきちんと描いて、大人になってこれからも続く人生に踏み出すことをそっと後押ししてくれるものだから。
 10代だからこそ心に残る体験を持てる本がまだまだあるんじゃないかな、そういう本を、もっともっと紹介していきたいなと思うのです。

2017年2月5日日曜日

子どもによりそって60年 西野さんのこと



 調布のたづくりで開催されていた「子どもによりそって60年 西野みのりがのこしたもの」を、先週の木曜日に見てきました。

 西野さんと出会ったのは、1996、7年ごろ。子どもの本の翻訳を始めて、もっと学びたい、仲間がほしいと私がもがいているときでした。「調布の図書館をもっともっとよくする会」が、調布の中央図書館の民営化反対運動のために作っていたチラシの中で、「調布子どもの文化ねっとわーく やかまし村」という、子どもと本に関係する人たちの集まりがあるのを知って、たずねてみたのがきっかけです。
 深大寺のたんぽぽ文庫のご夫婦を中心に、市内で文庫をしている方、学校や児童館で読み聞かせをしている方などが集まった「やかまし村」のメンバーのなかに、西野さんがいらっしゃいました。
 
 小学校教員として定年まで勤め上げたあと、語りや読み聞かせ、絵本づくり、自然観察など、毎日精力的に動いていらっしゃる方でしたが、おいくつになっても好奇心旺盛で、おしゃべりをすると、「そう、すてきすてき」と、しきりに感心しながら聞いてくださるのでした。
 一昨年の11月に亡くなられたというのを聞いたとき、享年84歳とうかがって、私の両親よりも1つお年が上だったというのを初めて知りました。まるで仲間のように接してくださっていた西野さんが、自分の親よりも年上だったとは。

「かにかに、こそこそ」や「番ねずみのヤカちゃん」など、アルトの静かな声で楽しげに語る西野さんの語りは絶品でした。

 やかまし村は、数年前に解散になりましたが、最後の数年、「秋の遠足」を実施していました。Nさんと私が担当で、上野の国際子ども図書館、鎌倉、三鷹の星と森と絵本の家、ちひろ美術館など、子どもや本とゆかりの場所を訪ねましたが、普段早起きらしい西野さんが、11時半ごろになると必ず「おなかがすいた」というので、昼食をとれる場所があるか、おやつを食べる場所があるかと、下調べに苦心したのがなつかしい。

 最後にお会いしたのは、2012年に調布の西部公民館の絵本と童話の会でスペインの絵本の話をと呼んでくださったときでしょうか。やかまし村や西野さんを通して、多くの人に出会いました。
 今回会場では、やかまし村のメンバーのなつかしい人たちにも会って、思い出話に花が咲き、ご縁のありがたさを痛感してきました。
(西野さん、すてきねぇと言ってくれるかな)と、訳書を出すたびにこれからも私は思い続けることでしょう。